- 1936年(昭和11年)樺太大泊町字大畑13番地で出生【現在のサハリン】
- 1945年(昭和20年)第二次世界大戦終戦後、樺太から引揚げ北海道へ
引揚げ後は・・
- 北海道雨龍の浅野炭坑(幼少期)
- 上川の美瑛町五稜の開拓地(少年期)
- 旭川市の印刷工場(青年期)
・・と、道内を移り住み、現在70歳を越えました
学歴:戦後の新制中学校を卒業(最後の1年は、ほぼ不登校)し、すぐに働く
20代後半に結婚、その後、長男出産直前に結核を患い入院、退院後も後遺症の為、肺活量は現在も1800cc程度しかありません
そんな病と貧しい結婚生活の中、生きるために多くの患者運動や労働運動・市民運動に取り組み始める
特に国民健康保険や生活保護制度の歴史や矛盾を肌で感じ独学にて学びました
これらの事が平成6年からの国保訴訟の礎になり、国民皆保険・年金の名の下に貧困者の権利侵害が進行していることから、市町村国民健康保険の被保険者であっても、生活保護基準以下の被保険者の保険料(税)は、非賦課(非課税)又は全額免除(国や地方公共団体の負担)とすべきと考え行政訴訟を提起
平成18年3月1日最高裁大法廷の判決まで闘いました
現在も介護保険や年金減額、08年4月から実施された後期高齢者医療(保険)制度も基本的には同一と考え。21世紀の社会保障制度確立には、公的扶助(生活保護)とともに、公的社会保険の改変(民主的改革)なくして生存権の保障はあり得ないと確信し訴えを続けています。